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備中神楽の簡単なあらすじ。神楽面の紹介。神楽動画の紹介。神楽公演の紹介。ふるさとの風景紹介。おく山のお便り。

出雲の国の神話


備中神楽は、出雲の国の神話が原点です。
備中神楽を覗けば、神々の神話も覗いてみたくなります。
「古事記」の興味ある場面を抜粋しました。


 1  宇宙の創生・日本国の生成
   天と地が初めて開けたころ、高天が原に神が生まれた。

 アメノミナカヌシ(天之御中主)、タカミムスビ(高御産巣日)、カミムスビ(神産巣日)の神々と更に、十四神が生まれ、最後にイザナギノミコト(伊邪那岐の命)とイザナミノミコト(伊邪那美の命)が生まれた。

 アメノミナカヌシは、イザナギノミコト(男神)とイザナミノミコト(女神)に言われた。
 「地上は、まだ水に浮いた油のようにふわふわしている。これをしっかり固めて、立派な国を作れ。」そして、天の沼矛(玉で飾った美しいホコ)を授けた。

 両神は、天井界から地上へかけられている天の浮橋に立ち、油の様にふわふわと漂っている所へ、そのホコをさしてかきまわした。

 海水がぶくぶく音を立てているうちに、ホコを引き上げると、その先からしたたり落ちる塩が、重なり積もって、島(オノゴロ島:現在の場所は不明)となった。
 

 【コメント】神名の天は、天上界を意味し、神は、上を意味し、命(尊)は、命令を体している者の意味で、全て敬称である。

   この島に降りて、太い柱を打ち立てて、御殿を造り、結婚式をあげることにされた。

 男神が女神に言われた。
 「この御殿の柱を廻り、お互いに出会ったとき、子供が生まれるようにしよう。それで、私が左から廻るから、あなたは右から廻りなさい。」
 そして、柱を廻り、お互いに顔を合わせた時、女神が先に、
 「あなたは、ほんとうに頼もしい男神様ですこと。」
 「あなたは、なんとすばらしい女神ではないか。」
 と言われたが、その後で、男神が、
 「女が先にいったのは、よくなかった。」とつぶやいてしまわれた。
 そのため、女神からは、不具の子が生まれたので、流し捨てられてしまった。

 両神は、どうしたら良い神が生まれるか、アメノミナカヌシの神に相談された。
 「それは、女の方から先に、声をかけたから良くなかった。元の所へ引き返して、言い直すが良い。」と言われ、再度、結婚式をおこなうと、こんどは良い子供が生まれるようになった。

 その結果、淡路島、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡島、本州の順に生んで、大八島の国(日本国)を生成され、つづいて、山川草木などの自然界のあらゆる神々をうまれた。

 しかし、最後の火の神を生む時に、黄泉のへ去られてしまわれた。
 
 

【コメント】わが国の結婚式の起源を示している。
 出雲大社では、同じ要領で柱を廻って神前結婚式が行われている。

 2  黄昏の国
   男神は、最愛の妻を忘れることができず、女神に会いに黄泉の国へ行かれた。
 男神は、女神と出会い、帰ってこれないか相談された。そこで、女神は、言われた。
 「黄泉の国の神に相談して参ります。その間、絶対に私の姿を見ないで下さい。」
 しかし、男神は、待ちきれず、女神の恐ろしい姿を見てしまい。男神は、黄泉の国を逃げ出そうとします。
 それを知った女神は、「私に恥じをかかせた。」として男神を追いかけるが、男神は、女神に離縁を言い渡し、逃げ延びてしまわれる。
 女神が言われる。
 「あなたが、こんな事をなさるなら、私は、あなたの国の人を、一日に千人ずつ、絞め殺してしまいます。
 男神が言われる。
 「あなたが、そんなひどいことをするなら、私は、一日に千五百人ずつ、子供がうまれるようにする。」
 そのため、この世では、人がしだいに増加するようになりました。
 
 

【コメント】黄泉伝説は、古代人の霊魂に関する思想が多分に含まれている。
 この世の人も、あの世の人も、どちらの世界にも行き来できると考えられていた。
 生の力は、霊魂の力より優れていることを語っている。

 3  三貴子の誕生
   イザナギノミコトは、黄泉の国に行かれた事を悔やみ、体を洗い清めて、けがれを落とそうと考えられました。
 筑紫の国(九州)の、たちばなの木の生い茂った野原へ行って、流れの速い、清らかな小川の水で、全身を洗い清め、禊をされた。そして、貴い三人の子供をもうけた。
 左目を洗っている時に生まれた神が、天照大御神。
 右目を洗っている時に生まれた神が、ツキヨミノミコト(月読の命)。
 鼻を洗っている時に生まれた神が、須佐之男の命。
 イザナギノミコトは、首に掛けていた首飾りを天照大御神に渡して、
 「高天原(天上界)を治めなさい。」
 ツキヨミノミコトには、
 「夜の世界を治めなさい。」
 須佐之男の命には、
 「海の国を治めなさい。」
 と言われた。
 
 

【コメント】古代人は、「死のけがれ」を最も嫌っていた。禊(みそぎ)の起源を語っている。

 4  天照大御神と須佐之男の命
   三貴子の内、須佐之男の命は海の国を治めようとしなかった。そればかりか、大人になっても、激しく泣いているばかりであった。
 父神のイザナギノミコトがそのわけを尋ねれば、「黄泉の国の母上に会いたい」と答えた為、腹を立てた父神は、勘当を言い渡した。
 須佐之男の命は、姉神の天照大御神に相談に出向くが、姉神は、弟神が私の国を奪いに来たのではないか、と疑い、弟神に邪心がない証をたてよと言われた。
 須佐之男の命は、邪心の無い証に女の子を生むことを誓った。
 アメノオシホミミノミコト(天の忍穂耳の命)、アメノホヒノミコト(天の穂日の命)などの女の子を生み、邪心のないことをみせた。
 
 5  天照大御神の天の岩戸開き
   須佐之男の命は、大御神に勝ったことで、大威張りで、調子にのって、激しく乱暴をはじめられた。

 ついに、大御神がはた屋で、神様にさしあげる着物を織姫たちに織らせている時に、そのはた屋の屋根に穴を開け、生血のしたたる馬の皮を投げ込まれた。そのため、はた屋の中は大騒ぎとなり、織姫たちの中には、はた織道具で、死亡する者さえあった。

 弟神のあまりの乱暴に、大御神は、みずから神に畏れ慎しんで、天の岩戸を開いて、中へ姿を隠してしまわれた。

 日の神、大御神が姿を隠されたので、高天原(天上界)もあし原の中つ国(地上界)も夜だけとなった。

 多くの悪神たちが騒ぎだし、災いと悪事が横行し始めた。

 このため、多くの神々が、天の安川に集まり、オモイガネ(思金)の神(タカミムスビの神の子)と相談して、計略をたてた。
 1.長鳴き鳥を集めて鳴かす。
 2.鏡や、まが玉を作る。
 3.うらないをして、計略が成功する事を確かめて、実行に移す。
 そして、天の香具山の榊を根のまま抜き取り、上の枝に「まが玉」、中の枝に「鏡」、下の枝に「白い布や青い布」を飾る。それをフトダマノミコト(布刀玉の命)がささげ持ち、アメノコヤネノミコト(天の児屋の命)が祝詞を読み上げている間に、アメノタヂカラオノミコト(天の手力男の命)が、岩戸の横に隠れ立った。

 そこで、アメノウズメノミコト(天の宇受売の命:お多福面の神)が、現れて、神懸りとなって、胸の乳をあらわに出し、衣の紐をへその下まで下げて、面白おかしく狂態を演じたので、神々がどっと笑い出し、高天原が揺れ動くほどであった。

 その時、大御神が、岩戸を細目に開けて、中から尋ねられた。
 「私が、この岩戸に隠れてしまったので、この世は、真っ黒になって困っていると思っていたのに、ウズメノミコトは、なぜ、楽しそうにおどり廻っているのか。また、大勢の神々は、にぎやかに笑っているのか。」
 アメノウズメノミコトが答えた。
 「あなたよりも、もっと貴い神がここにおられますので、みな喜んでおどったり、笑ったりしているのでございます。」
 その間に、アメノコヤネノミコトとフトダマノミコトが、こっそり榊に掛けた鏡をはずしてきて、大御神の顔の前に差し出した。
 すると、その鏡に貴い神の顔が写ったので、よく見ようと、体を少し岩戸の外へ乗り出された。
 この時、待ち受けていたアメノタヂカラオノミコトが、大御神の手を取って外へ連れ出し、すかさずフトダマノミコトが、岩戸の前にしめなわを張り巡らして、言われた。
 「二度と、この岩戸の中にお入りになりませんように。」
 こうして、この世に、明るさがもどった。

 須佐之男の命の処遇については、多くの神々と相談した結果、罪を償うために、多くの品物を提供させ、また、自慢のひげを切り落とし、手足の爪を引き抜いて、高天原から追放してしまった。
 
 
 【コメント】古代人は、岩屋に住んでいた。宮殿の近くの岩屋に姿を隠したのであろうか。
 榊を飾り、祝詞を読み上げて、舞を舞う現在の祭式の起源となる。
 また、アメノウズメノミコトの舞は、神楽の起源である。一説によれば人類初のストリップ嬢であろうか。

   
 6  須佐之男の命のオロチ退治
   須佐之男の命は、高天原から追放され、出雲の国の肥の川(斐伊川)の上流、鳥かみの郷にたどりついた。

 命が、川を流れるハシを見つけられ、川上の人を訪ねて、川を上っていかれた。そして、老夫婦が娘を中にして泣いていた。
 「おまえたちは誰か。」と尋ねると、
 「私は、国つ神で、大山津見の神の子、足名椎と妻、手名椎、そして娘の櫛名田(クシナダ)姫と申します。」
 「おまえたちは、なぜ泣いているのか。」
 「私には、八人の娘がいましたが、ヤマタノオロチ(八俣の大蛇)が、毎年やってきて、娘を一人ずつとっていってしまいました。今は、この娘がひとり残っていますが、またやってくる時期となり、思案にくれて泣いているのです。」
 「そのオロチとは、いったい、どんな姿をしているのか。」
 「その目は、ホオズキのように赤く、一つの体に頭が八つ、体には、一面にコケ、ヒノキやスギが生え、その長さは、八つの谷と八つの丘に渡り、その腹は、いつも血がにじんでおります。」
 命は、義憤を感じて、
 「それでは、私が救ってやるから、その代わり、その娘を私の妻にくれないか。」
 老人は、頼もしく思いながらも、
 「失礼ですが、あなたのお名前を承っておりませんが。」
 「私は、天照大御神の弟で、須佐之男と申す者だ。ちょうどいま高天原からやってきたところだ。」
 老人は、非常に恐縮して、
 「それは、まことに失礼なことをお尋ねいたしました。娘は、喜んでさしあげましょう。」

 そこで、命は、オロチを退治するための計略を立て、その娘の姿を櫛(くし)に変えて、自分の髪に差し込んで隠してしまうと、老夫婦に命じた。
 「おまえたちは、強烈な酒を造れ。そして、家のまわりに垣根を作り、八つの門をこしらえろ。門には、一つずつ、台を置いて、その上へ酒を入れた酒船を乗せ、待つがよい。」

 やがて、オロチが山鳴りを立ててやってきた。
 オロチは、酒のにおいをかぐと、先を争って、八つの酒船に一つずつ頭を突っ込んで、酒をむさぼり飲んだ。そして、間もなく、酔いつぶれて、寝てしまった。
 命は、好機至れりと、腰にさしていた剣を抜いて、そのオロチをずたずたに切ってしまわれた。オロチから流れだす血のため、肥の川が、真っ赤に染まった。

 さらに、命が、オロチの真ん中の尾を切られたとき、命の剣の刃が、欠けてしまった。命が怪しく思って、その尾を切り開いたところ、中から立派な宝剣が出てきた。後に、天照大神に事情を述べて、献上された。これが、三種の神器の一つである草薙の剣(くさなぎのつるぎ)である。
   
 

【コメント】 古代人は、深山にいる大きい蛇を、山水の精霊と考え、これをオロチ(山の霊の意)といっていた。
 この精霊の暴威により、暴風や洪水がおきるものと考えていた。
 製鉄業の盛んであった斐伊川が毎年氾濫して、稲田を荒らし、採鉄作業をさまたげることが神話化されたと考えられる。
 クシナダヒメは、水田の守護神、ツルギの出現は、製鉄の正常化を示す。

   オロチを退治した後、約束どうりクシナダ姫と結婚された。

 そして、御殿を建てる場所を求めて、出雲の国をたずね歩かれた。やがて、須賀という所へきた時、
 「自分は、この土地へきたら、ほんとにすがすがしい気持ちになった。」
 と言って、そこに御殿をたてることにされた。須賀の宮を造っている時、白い清らかな雲が、幾重にも立ちのぼった。これを見て、次の歌をよまれた。

 「八雲立つ 八雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を」
 これは、雲が八重にたなびいて、幾重にも垣根をつくり、愛妻をかくしてくれるという意味の恋歌である。

 姫の父、足名椎を須賀の宮の長官にして、命と姫は、むつまじく暮らした。後に、大国主の命が生まれることになります。
 
 

【コメント】この歌が「出雲の国」の名の由来である。
 「八」のは、末広のように多数であることを意味しており、数値の8に限定しているわけではない。

   
 7  大国主の命の稲羽の白兎
   大国主の命には、ヤソ(八十)神といって、大勢の異母兄弟がいて、命は、末っ子であり、相続人であった為、ヤソ神は、命をねたみ苦しめていた。

 そんなおり、稲羽の国(因幡の国:鳥取県)に、ヤガミ姫という美しい女神が住んでいた。ヤソ神は、みな結婚しようとの野心をいだいていた。ある時、いっしょに連れ立って稲羽の国へ行くことにしたが、大国主の命には、旅道具を入れたおおきな袋を背負わせ、いやしい従者の役目をさせて、連れて行った。

 一行が、稲羽の国の気多の岬(気高郡の海岸:白兎神社)へさしかかった時、皮をはがれて赤はだかになった兎が苦しそうにして寝ていた。これを見たヤソ神は、
 「もし、おまえが、もとのような体になりたかったら、海水を浴びて、風のよく吹く山の頂きで、寝ておればよい。」
 と教えてやった。兎は、そのとうりに実行したが、痛みがさらに激しくなり、泣き苦しんでいました。

 そこに、大きな袋をかついだ大国主の命が、遅れてやってきて、
 「なぜ、おまえは泣いているのか。」
 と尋ねれば、兎は、泣きながら答えた。
 「私は、隠岐の島に住んでいましたが、対岸の本土に渡ろうと思い、海中のワニザメをあざむき、『私の兎族と君のワニザメ族とどちらが多いか、ひとつ比べてみよう。それで、君は、一族のワニザメを全部連れてきて、この島から対岸の気多の岬まで、一列に並んでくれ、私は、君たちの背中の上を飛びながら数えて渡ろう。そうすれば、君たちの一族と、私の一族とどちらが多いか、知ることができる。』と話をもちかけて、私は、並んでくれたワニザメの背中を飛びながら数を数えて渡ったのです。いま一歩で地上に降りようとした時に、『うまいこと、だましてやったぞ。私は、この本土へ渡りたかったのだ。』と、ついおもわず、言ってしまったものですから、最後に並んでいたワニザメが、ひどく怒り、私の体の毛を皮ごと剥ぎ取ってしまいました。それで、泣き苦しんでいると、先程のヤソ神の治療の教えに従いましたところ、更に、痛みがまして、こうして泣いているのです。」

 大国主の命は、哀れに思い、
 「早く、この川の川口へ行って、真水で体をよく洗い、塩分を落としなさい。そして、花粉のついたガマの穂を集めて、地面に敷き並べ、その上をころげ廻りなさい。そうすれば、おまえの体は、必ずもとどうりに治るだろう。」
 と教えられた。兎は、教えられたとおりにしたところ、もとの美しい姿になった。

 兎は、大変喜び、命に言った。
 「姫は、やさしいあなたと結婚するでしょう。」
 と予言した
   
 

【コメント】古代の豪族は、上の子から、順次、独立させて、土地を分け、辺境を守護させた。
 その為、末っ子が後を相続することが普通であった。

   やがて、ヤソ神たちは、ヤガミ姫の所へ着き、求婚された。しかし、姫は、言われた。
 「私は、あなたたちのいうことを聞く考えはありません。私は、大国主の命と結婚するつもりです。」
 ヤソ神たちは、すっかり怒って、命を殺そうと相談した。真っ赤に焼いた大石で焼き殺そうとしたり、大きな割れ目の中に入れて圧死させようとしたが、いずれもよみがえられた。しかし、いつもヤソ神たちに付けねらわれているので、根の国(黄泉の国)の須佐之男の命のもとに相談に旅立たれた。
 
 8  大国主の命の国作り
   大国主の命は、根の国の御殿に着き、須佐之男の命の娘スセリ(須勢理)姫が出てこられた。若い二人の神は、顔を見合わせるなりすぐに恋仲となった。姫は御殿にもどり須佐之男の命につげられた。
 「大変立派な神が、おいでになりました。」
 須佐之男の命は、恋仲を察知して、大国主に多くの試練を与えることにした。

 しかし、スセリ姫の呪術などにより数々の試練をのりこえていくが、最後には、須佐之男の命が寝ているすきに、逃げ出すことにされた。

 スセリ姫を背負い、生太刀、生弓矢と天の沼琴を持ち出して逃げ出した。その時、琴が木にふれて、大きな音を立てた為、須佐之男の命が飛び起き、二神を追いかけて、根の国(あの世)と現世(この世)との境にあるヨモツヒラ坂で、呼びかけられた。
 「おまえが持っているその太刀と弓矢により、ヤソ神を坂の下に追い落とし、川の中へ追い払ってしまえ。そして、おまえは、武力的支配力と、宗教的支配力を身に付けて、大国主となり、ウツシクニタマの神となって、私の娘のスセリ姫を正妻とするがよい。そして、出雲の国の宇迦山の地底の岩に宮柱を打ち立て、天空高くたる木をあげて、壮大な御殿を建てて住むが良い。」
 

 【コメント】相続人に試練を与え、克服することによって相続の正当性を示したものであろうか。

   大国主の命は、出雲に帰ると、須佐之男の命の助言どうりにヤソ神たちを追い払い、出雲の国作りを開始された。

 出雲の国(島根県東部)の山間部から海岸部を平定。
 ホウキの国(鳥取県西部)を平定。
 稲羽の国(鳥取県東部)を平定。
  そして、ヤガミ姫と結婚するが、正妻スセリ姫に遠慮して、国に帰られた。
 播磨の国(兵庫県南部)を平定。
 越の国(石川、富山、新潟の各県一帯)を鎮圧。
  その際、越後の美人ヌナガワ(沼河)姫と結婚された。
 信濃の国(長野県)を平定。

 さらに、出雲族の勢力は、兵庫、京都、滋賀、奈良、和歌山、群馬、埼玉に波及していたことが推定されている。勢力範囲がまことに広大であった。
   さて、大国主には、六人の妻がいた。
  タギリ姫は、アヂシキタカヒコネ(阿遅志貴高日子根)の神と下照姫を生まれた。
  神屋楯姫は、事代主の命を生まれた。
  ヌナガワ姫は、建御名方の命を生まれた
   大国主の命が、美保の関におられたとき、ごく小さな舟が、海上から近づいてきた。小人の神が乗っていた。カミムスビの神の子スクナヒコナ(小彦名)の神であった。カミムスビの神の指示により協力して出雲の国を作ることとなった。
 
 9  大国主の命の国譲り
   大国主の命が国作りされているころ、高天原では、天照大神が、言われた。
 「葦原の中つ国(五穀豊穣の国:日本国)は、私の子のアメノオシホミミノミコト(天の押穂耳の命)が治める国である。」

 これに基づき、ミコトが、天の浮橋から下界を見たところ、非常に騒々しく乱れていたため、タカムスビの神と、大御神に報告後、天の安川の川原に多くの神々を集めて、大御神が言われた。
 「この葦原の中つ国が、荒れすさぶ国つ神が大勢いて勝手に治めている。それで、この国つ神どもを説得して、国を譲らせようと思うが、誰を遣わしたらよろしいか。」

 思金の神が、神々と相談した結果、答えられた。
 「アメノホヒノミコト(天の穂日の命)をお遣やりになったら良いと思います。」
 

【コメント】「葦原の中つ国」とは、葦が群生している原野の様に足元がしっかりしない、中途半端な国のことを意味する。

   しかし、天の穂日の命は、大国主の命の威徳が高く、その勢力強大であった為、大国主にとり入って、苦心しながら三年がたち、報告のため、帰られた。後に、出雲大社の祭主として仕えた。
   次の使者は、タケヒナドリノミコト(稲脊脛の命)であったが、大国主の甘い言葉に迷って、大国主の家来となった。「日本書記」にのみ登場する。
   
   その次の使者は、アメノワカヒコノミコト(天の若日子の命)であったが、出雲に下るとすぐ大国主の命の娘シタテル(下照)姫と、結婚して、八年を過ぎても帰らなかった。大御神と思金の神が詰問の為、きじのナキメ(鳴女)を派遣したが、若日子の命に遣えるアメノサグメ(天の佐具売:人の心を探り出し、報告する役目の女)の助言で、ナキメを弓矢で貫き通し、高天原までその矢が届いた。「邪心があるなら、この矢に当たって死んでしまえ。」と言って、投げ返された。その矢は、若日子の胸に当たり、死んでしまった。
   そして、最後の使者として、思金の神の助言によりタケミカズチ(建御雷)の神と、アメノトリブネ(天の鳥船)の神(船の神)を遣わした。

 ふたりの神は、海路から出雲の国の伊那佐(稲佐)の浜につき、建御雷の神は、長い剣を波の上にさかさに立て、きっさきの上にあぐらをかいて、大国主の命に向かって叫んだ。
 「我々は、天照大御神の命令によって、問使としてやってきた者である。あなたが、いま治めていら葦原の中つ国は、大御神の御子が治める国であるといわれている。このことについて、あなたのお考えを承りたい。」

 大国主の命は、答えた。
 「それについては、私は、何とも申しかねます。私の子のコトシロヌシノミコト(事代主の命)に国政をまかしておりますので、その子からご返事をさせましょう。しかし、ちょうど今、漁猟のため、美保の関へ行っていて、まだ帰ってきません。」
   
 

【コメント】「日本書紀」には、フツヌシノカミ(経津主の神)も使者に挙げられている。

   そこで、天の鳥船の神を急派し、事代主の命を呼んでこさせて、建御雷の神のことばを伝えられた。事代主の命は、
 「誠に恐れ多いことでございます。この国は、天照大御神の御子に、譲りなさったが良いと思います。」

 と、答えると、いま乗ってきた舟を、足で踏み傾け沈めて、誠意を表明し、天の逆手をうって、神域へ姿を隠してしまわれた。
   
 
 【事代主の命の伝説】
 美保の関の対岸の揖屋のミゾクイ姫に毎晩かよわれ、鶏の鳴き声を聞いて別れていたが、ある朝鶏が、時を間違えて鳴いたため、ミコトは驚いてモロタ船に急ぎ乗って出かけられ、更に「ろ」を誤って海中へ落とされてしまった。
 しかたなく、足で水をかいて船を進めたが、そこにワニが現れて、片足に食いついた為、負傷された。
 「天の逆手」は、現在の商業上の手打ちの起源である。

   この時、建御雷の神は、大国主の命に、問われた。
 「まだ、ほかに、意見のある子がおられるか。」
 「ほかに、タケミナカタ(建御名方)の神と申す子がおります。この子以外には、おりません。」

 ちょうどその時、建御名方の神が、大岩を手先に軽々とさし挙げてやって来た。
 「誰だ、おれの国へやってきて、こそこそ、勝手なことを言っているのは。正々堂々と力くらべをして、その勝ち負けによって、事を決め様ではないか。まず、おれが先にあなたの手をつかんでみせよう。」

 建御雷の神の手をつかむと、建御雷の神の手が、冷たい氷柱に変わり、また、つかみ直すと、今度は、鋭い剣の刃に変わった。建御名方の神は、恐れをなして、引き下がった。今度は、建御雷の神が、建御名方の神の手をつかむと、まるで若い葦のくきを掴み取るように、建御名方の神の手を握りつぶして、投げ飛ばした。建御名方の神は、逃げ出し、信濃の国の諏訪湖のほとりまで追い詰め、殺そうとされた。建御名方の神が言われた。

 「恐れ入りました。私を殺さないで下さい。その代わり私は、この地以外にはどこへも行きません。この葦原の中つ国は、大御神の御子にさしあげましょう。」
   
   建御雷の神は、出雲の国へ帰り、大国主の命に尋ねる。
 「あなたの子は、大御神の御子の統治にそむかないと申されたが、あなたのお考えはどうか。」

 「私もふたりの子供と同様にそむきません。この葦原の中つ国は、大御神の御子にさしあげましょう。ただ私の住み家として、大御神の御子の立派な宮殿と同じような御殿を建ててください。そうすれば、私は、黄泉の国へ行き、霊界を治めましょう。」
 といって、いさぎよく隠退してしまわれた。

 こうして、建御雷の神は、高天原へ帰り、葦原の中つ国を帰順させて、平定したむねを報告した。
 
 

【コメント】顕事を天照大御神の子に、幽事を大国主の命が分け治める事となった。

 10  邇邇芸(ニニギ)の命の天降り
   天照大御神とタカミムスビの神は、出雲の国譲りが終わったので、太子のアメノオシホミミノミコトを呼び、葦原の中つ国を治めるよう伝えた。この時、太子は、
 「実は、出発準備の間に、子供が生まれました。名をニニギノミコトと申します。その子を葦原の中つ国へ行かせたいと思います。」
 と答えられ、ニニギノミコトに伝えた。
 「この葦原の中つ国は、あなたが治める国であるとのご命令である。早速行って治めるように。」
   
   そして、ニニギノミコトが、葦原の中つ国へ行く途中の十字路に立って、上は高天原を照らし、下は葦原の中つ国を輝かしている神がいた。大御神とタカミムスビの神は、アメノウズメノミコトを遣って、その神の正体を確かめることにした。アメノウズメノミコトがその神に尋ねると、

 「私は、国つ神で、猿田彦の神と申す者です。ここにいるわけは、高天原の神が、葦原の中つ国へこられることを聞きましたので、道案内をしようと思って、途中までお迎えにまいったものでございます。」
 

 【コメント】猿田彦の神は、鼻が長く口のわきは明るく輝き、眼は鏡のように大きく丸く、まるで赤ほうずきのようであると記載されている。

   大御神は、この猿田彦の神を道案内役として、児屋、布刀玉、宇受売など各祭祀職の部民を率いる五人の命に、ニニギノミコトのお供をさせて出発させることにされた。
 このとき、大御神は、ニニギノミコトに『やさかにの曲玉』『やたの鏡』『くさなぎの剣』(三種の神器)を渡され、さらに思金の神、天の手力男の命、天の石門別の神をお供に加えて、

 「この鏡は、私の魂であると思って、私自身を祭るように大切に祭りなさい。また、思金の神は、政治上のことを身に引き受けて、私の子孫のためにおつかえするように。」
 といわれた。
   ニニギノミコトは、高天原を出発し、八重たなびく雲を押し分け、道を開けて、威風堂々と天の浮橋を渡り、ついに、九州の日向の国にある高千穂の峯に降りられたのである。
 

  以上の神話が伝える結末は、「日本国は、天照大神および、その子孫によって統治される国である。」といった根本精神と、中央政権の確立をねらった背景がうかがわれます。ニニギノミコトの天降りで完結することになる。
 もちろん、古事記、日本書紀がその意図により記述されているのであるから当然のことです。逆に出雲族(豪族)の勢力がいかに強く、朝廷から恐れられていたことが理解されます。
 そして、国土譲渡の成功に寄与した出雲族に敬意を払う為に、出雲族の祖神として崇める大国主命の神話の数々を古事記、日本書紀に記したとも考えられます。
 
 参考文献:飯塚 重行氏「出雲の神話」

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